なぜ希望が大事なのか? 希望を持つことは、物事をよりよくする?

希望は続けることを助ける
春風小太郎 心理学教室
「携帯の通知を切って、聞きたくないニュースを一日や二日無視してみたら」と言うのは簡単かもしれませんが、実際はそんな風に上手くいかないものです。
多くの人は携帯を仕事や子供たちとも連絡に使っていたり、彼らにとって大事な人達と連絡を取り合う為にソーシャルメディアを使っている人もいます。単に携帯をオフにすることが出来ずに、多くの人はストレスを和らげる為にドラッグに走ってしまうのです。
ドラッグはあなたを憂鬱な状態から抜け出させてくれますが、その後にはあなたが夜ゆっくり眠れる様に落ち着かせてくれる人が必要になるかもしれません。ドラッグはあなたの不安を抑えられるかもしれませんが、あなたを疲れさせて、必要なエネルギーが湧かずに日常生活に支障が出るようになります。
多くの人にとってドラッグは神からの授かり物のようなもので、脳内の不安定状態を調整する手助けとなるものですが、他の多くの人にとって、ドラッグはより多くの問題を起こし、更には抱えている問題を悪化させてしまうものなのです。
もし調子が良くなく、不安が日常生活を妨げ、やるべきことに集中することさえ困難になったとしても、絶望しないで下さい。あなたの精神や心を和らげ、より効果的に集中出来る様にあなたが出来る自然な方法は数多くあります。
この記事は同毒療法でも、鍼療法でもありませんし、大きな製薬業界から選ぶ代替薬品などではありません。この記事で取り上げるのは、あなたがあなた自身の中に生まれながらにあるパワーを利用し、あなたの思考や身体を今までと違う方法でどのように使うのかを学ぶことについてです。
これらの多くのテクニックは、自己催眠の方法に基づいています。もしあなたが催眠術を聞いたことがない、又は催眠療法士に会ったことがない場合は、催眠とは新しい方法で異なる思考部分を活用する自然なアプローチであると考えて下さい。
あなたの意識によって言い逃れを強制されたり悪い習慣を繰り返す(これは通常、自分の最大の関心事とはなりません)代わりに、催眠療法はあなたの潜在意識にあるものを解放する手伝いをしてくれます。この自然の治療者である潜在意識は、あなたが意識するまではずっと舞台裏に留まっていることが多いのです。
そのプロセスを始める為には、数分間の静かな時間を作ることが大切で、それは出来るだけ毎日することが理想です。最適な時間帯は朝、一日が始まる前です。多くの人は仕事や家族の為にとても早く起きているので、無理してこれを夜中3時に起きる様な努力はしないで下さい。もちろん他の時間帯でも効果はきちんとあります。重要なのは、あなたが全く邪魔されることなく集中出来る時間を確保するということです。
まずは快適に座れる場所を探しましょう。背もたれがあり、足がしっかり地面につくことを確認して下さい。足や腕を組んではいけません。足は地面にリラックスした状態でついて、手は膝の上か椅子の肘掛けに置いて下さい。目は開けたままで、ゆっくり深呼吸することから始めましょう。呼吸を意識して、空気が身体に入り、お腹を満たし、身体から出て行くのを想像してみて下さい。息を吸うときは綺麗でフレッシュな空気が入ってくるのを想像し、出て行く空気は身体の不純物やネガティブさ、ストレスを含んだものであると考えてみましょう。
1〜2分は呼吸を意識することだけに集中して下さい。
次は、3回ゆっくりと落ち着いた息を吸って吐き出します。息は鼻から吸って、口から出す様にして下さい。そして3回目の時には目を閉じる様にしましょう。
ただ座って、深呼吸だけします。あなたの身体に意識を向けてみましょう。そうするとあなたがどのように椅子に座っているのか分かる様になります。快適で、しっかりと支えられている状態であることを確認して下さい。もっと腕をリラックスさせてみましょう…そして椅子に身体をもっと深くあずけてみましょう。身体的により快適でリラックスした状態になれるようにして下さい。
一度とてもリラックスすると、あなたの頭に溢れている考えに気付く様になります。頭は静かな状態を好まないので、いつも何か考えること掘り出します。
夜、横になっても眠れずにいて、思考がコントロール出来なくなった経験がある人なら誰でも、この状態がどの様なものなのか分かると思います。思考に意識を傾けるものの、執着しないように注意して下さい。考えがあなたの頭に浮かぶのは許しつつ、優しく押し返す様にしてみましょう。私はここで箒を思い浮かべるのが気に入っています。考えを端から掃き出してしまうような状態をイメージしてみましょう。
穏やかに座り、呼吸し続けられる様になったら(2〜5分掛かるかもしれません)、マントラ(繰り返し唱えられる言葉)を自分に言い聞かせてみましょう。
「私は穏やかに感じています。とても平和な状態にいます。私は自分に起こること全てに対処することが出来ます」というのは例の一つです。心が安らかになるものであればどんな言葉でも構いませんが、あなたが正しいと思える内容にしましょう。
もしあなたが「私は大金持ち」と言い聞かせても自分が本当にそうではない場合、脳はその考えを拒否してしまいます。表現法/語法はあなたによって信じられるものでなければいけません。マントラをしっかり1分間何度も繰り返しましょう。「私はリラックスしています。私は思考をコントロール出来るし、私に安らぎをもたらしてくれるものに集中するよう選び取っていきます」というのはまたもう一つの例です。
もしこれを毎日行えば、このリラックスした状態をよりしっかりと実感出来る様になるでしょう。出来れば一日一回以上行うのが理想ですが、まずはきちんと初めて続けていく為に一日一回から始めてみましょう。
練習すればするほど、ストレスや不安を感じた際にも働く強さがつくようになるでしょう。新しく、より穏やかなあなたが少しずつ形成されて、心配性だったあなたをゆっくりでも確実に置き換えられるようになるでしょう。
私達はあまりにも多くの時間を自己批判に費やしてしまっています。
ぜひこの科学に裏付けられた練習を用いてみましょう!
とても仲の良いあなたの友達がテーブルの向かいに座っている所を想像してみましょう。その友達は今日仕事をクビになって、もう泣き出す寸前です。励ましの言葉を必要としていることは明らかですよね。
そう、あなたはいつも通りにこの場面に対処しますよね。威圧的な声に変わって、あなたはこんな風に言うでしょう、「ま、もっとマシに仕事出来るべきだったよね。それに、人生台無しにしちゃったね」と。
まさか、自分は弱っている友達にこんな風に話したりしない(とあなたは考えているかもしれません)。でももしかすると、あなたはそんな行動を本当にとっているかもしれません…
ではもし仕事を失ったのがあなただったとしたら?
それか暴食してしまって食生活を乱してしまった時はどうでしょうか?失敗した時や辛い時、自分はどうやって自分自身に声を掛けますか?
研究によれば、友達と接する時と比較してあなたは自分自身に対してかなり厳しく接している可能性があることを示しています。更に研究は、我々の多くが驚く程多くのエネルギーを自己批判に費やしていることを証明しています。「自分は本当にダメなやつだ」「やる意味なんてない」といった具合に、自分を痛めつけているのです。
なぜ私達は自分達に対してこの様な態度を取ってしまうのでしょうか?
辛い状況に陥った時、自身をくじけさせることが助けになるはずだと考え、否定的な人を探すものですか?
自身を厳しい批判によって萎縮させることが、自分の立ち直る力を強めてくれるのでしょうか?
大抵はそうではないはずですよね。助けにはならないのです。実際に研究によると、自身に対する同情性が高い人ほど鬱を経験することが少なく、モチベーションが上がり易い上に、より楽観的で幸せを感じ、人生により高い満足度を感じる傾向があることが分かっています。
ヒッピー的に“いい感じ”を経験するのとは程遠く、自己に対する同情/思いやりというのは健康や富、幸せを向上させるということが証明されています。自己同情は、素晴らしい行動促進剤であり、より素敵な幸福を得ることを可能にする方法なのです。
自身を痛めつける代わりに、自己を思いやることを試してみましょう。私達が自身暗鬼を感じる時や、成功に向かう途中で感じる困難から抜け出すのをきっと手助けしてくれるはずです!
手短に言うと、欠点や失敗、その他辛いこと一般に対する理解であったり、自身の励みとなるもののことを指します。しかし科学においては、三つの重要な要素を含んだより大まかな定義が設けられています。自己に対する思いやりを持つには次の三つの要素が必要です:
もし自身を慰めて、次回より良くする為には、自分が苦しんでいることや失敗してしまったことをまずは認める必要があります。ミスを犯したり、失敗してしまっても大丈夫。でも、自己向上の為にはその時にきちんと自身の感情や行動に向き合うことが必要です。
我々の精神は、苦痛を押さえる驚異的な鍛錬や、過去に自分がしたことに対する非難を客観化することが可能です。自分を思いやることは、より批判の少ない方法で自分と向き合うことを促進するので、私達は良い方向へと変わっていくことが出来るのです。これを維持する為には強い意識性が必要なので、自分を正しく思いやる為にはマインドフルネスが必要不可欠となります。
この要素は、人は誰でも悩みを抱えていると意識することです。インスタグラムでは誰もが素晴らしい瞬間をずっと過ごしているかのように見えますが、それは大抵うわべにしか過ぎないものです。
辛い時期というのは本来、人間の誰にでもあるものなのです。どれほど多くの有名人が中毒克服のリハビリ施設に送られたのか考えてみて下さい。“成功している”人達のどれ程が人生に不満を抱えているか、考えてみても良いでしょう。私達はみな完璧な存在ではありません。時には悩んだりするものであり、それで良いのです。悩んでいるのは自分だけではないということ、そして自分の不完全さによって孤独感を感じるべきではないということに気付くことは、私達をほっとさせてくれます。
これは他人に接する様に自分に接するということです。自分を叱るのではなく、自分の大切な家族かのように接するべきであり、そうすることによって既に自分を思いやる生活スタイルへの一歩を踏み出していけるのです。
次回躓いてしまった時には、しっかり立ち止まって、痛みをきちんと意識してみましょう。そして誰もが悩みを抱えることを思い出して、自分に温かい優しさを与えてみて下さい。そこにはもしかすると希望の光が射すかもしれません。自分の中に強力な味方がいることは自身のとてつもないパワーの源となります。その力を役立たせる方法を学んだ時、私達はより幸せで成功が待つ場所へと進んでいくことが出来ます。
スコット・バリー・カウフマン教授によるペンシルバニア大学のポジティブ心理学入門で用いられた思いやりの方法を見てみましょう。教授助手として私がこの授業に携わった年、この方法が今までの授業の中で一番為になったと生徒達が伝えてくれました。自分を扱い方をより意図的に向上させるとても素晴らしい方法です。ぜひ試してみて下さい!
現在感じている困難や、ストレス、悩み事を頭に想い描いて下さい。この辛い経験に対して第二者の視点に立って、自分に向けて思いやりの手紙を以下の書き方にそって書いてみて下さい。
自分がその辛かった状況やことについて思い出させてあげて下さい。そして自分の感情や考えを認めてあげてましょう。それと同時に自分がどうしたかったのか、何が必要だったのかも考えてみます。
例:「ケリーへ。[悲しい、心配、苛立たしい、失望した]という気持ちを抱えていることを私は知っています。あなたはとても[楽しみにしていた、一生懸命だった]よね。…」など。ストレスとその下にある健康への願い、安心感、愛情、感謝や正しい評価、繋がり、達成感といった重要な部分両方について手紙を書きましょう。
人情的メッセージを付け加えましょう。
例:「どんな人でも間違えることはあるし、失敗したり、怒って、失望して、失う気持ちを知っているよ。」
そうして最後に思いやり溢れたアドバイスや励みとなるメッセージと共に自身を諭してあげましょう。この状況で、あなたなら大切な人になんて言葉をかけてあげますか?この手紙を書き終えたら、声に出して自分に読み聞かせるか、一度仕舞って自分が必要だと思う時に再び取り出してみましょう。
この手紙を書くという方法は、幸せを強化するという効果を示しています。研究では、被験者が一週間毎日続けてこの手紙を自分に書き続けたところ、何もしなかったグループと比べ、より高い幸福感を実験の半年後でも感じていることが分かりました。(シャピラらによる研究、2010年)
この方法についてどう思いましたか?
簡単だったでしょうか?
虹やキラキラとしたものが自分から溢れて来るように感じましたか?
そうであれば素晴らしい!
一方で、この方法を難しく感じたり、馬鹿馬鹿しいと感じましたか?
そうだとしても無理はありません。
多くの人はこの方法を初めて取り入れる時、同じ様に思います。しかし、この方法を繰り返すことはあなたの気分を高め、自分への思いやりを高める手助けとなる素晴らしい強力な方法となります。しばらくすると、自分に対する深い思いやりはより自然に感じる様になり、習慣化します。ぜひ試して、自分で実感してみて下さい。
あなたはその効果を実感する価値がある存在です!
走らず、でも固まらないで。ただ立ち止まって、深呼吸してみましょう。
今現在に意識を向けることが、私達の中にある賢い選択へと導いてくれます。
近年(もしかすると今までずっと)、人生とはシーソーの様に上がったり、下がったりよくするものです。私達は自分の世界、中と外と綱引きをしている様なものです。
こっちかあっちか?今か後か?これか、それともあれか?
そして最も危険なのは私達か、相手かという選択肢です。
しかし、どちらかを選ぶ二択式以外にもっと良い選択肢があるのです。それは“両方を取る”という選択肢や“どちらがより優れているか”という判断もあります。
ですが、どうやってより良く、正しい選択肢を見つけることが出来るのでしょうか?
まずは“留まる、立ち止まる”という観念を意識し、実践してみましょう。ここ、今、身体を意識し、今までの全ての経験と共に立ち止まってみましょう。そして、理想という空想ではなく、物事のあるままを捉えて留まるのです。
私達はグランドキャニオンの端に立っているとしましょう(グランドキャニオンではなくても、思い浮かべられるどんな端でも構いません、想像を膨らませてみて下さい)。
深呼吸して、頭をクリアにして、目の前にある現実を受入れましょう。また深呼吸して、この現実とはいったい何かを考え、感じ、意識してみて下さい。決して向こう側に渡る為の橋や、谷底に続くような滑り台を想像してはいけません。ただこの想像を楽しんでみて下さい、きっと面白いはずです。
橋も滑り台もない場所、では何をしたらいいのか。ゆっくり深呼吸して下さい、きっとあなたも色んな衝動に気が付くはずです。私の中には谷底へ向けて走り出したい衝動や、あまりにも強烈過ぎて逃げ出したいと思う衝動など、沢山の選択肢に気付きます。
しっかりと考慮することとは、現実を受け入れ、深い所にある自分の目的を確かめ、全ての選択肢を考えては自身の確固たる知識が何をするべきなのか選ぶことです。
私達を導くコンパスであり、星である一番の推測に辿り着く為にはしばらくの間、またはもしかするとほんの数秒間しっかりと立ち止まる必要があります。
見過ごされた衝動、外的基準、恐怖、欲望、慣習、怒り、否定、回避といったものは、人生において決して良い習慣ではありません。しっかりと呼吸をして、受け入れ、自身を信じ、可能な選択肢の中から選ぶことこそが、一番の良い習慣と言えます。
どんな場合においても、私達の興味、気持ち、モラル、強い憧れにより近いものを選ぶ為には、どうやって長い間立ち止まればいいのでしょうか?
意気消沈する程長い間、ニュースに耳を傾けるべきでしょうか?
それとも苦痛から逃れる為にすぐにテレビを消すべきなのでしょうか?妥協点は?
全てをいとわず相手に全てを受け渡し、自身を捧げるべきでしょうか?
それとも全てを拒絶して安全を手に入れる代わりに自身に枷を付けるべきでしょうか?
衝動に抗わず、例えリスクがあっても目標を手に入れようとするべきでしょうか?
それとも安全でいる為に無意識にその目標から遠ざかっていくのでしょうか?
自身の二択が起こる場所に気付いてみて下さい。その場所とは、外的世界と自身の内にある内的世界の間であり、対立する二つの間で揺れたり、より安全を提供してくれる方を支持するような場所のことです。そしてそれは普段意識する自分やそれと関わる深い自身才能を失う状況のことです。
どんな状況であっても、あなたが選ぶ選択肢は正しいか間違いか、という単純な判断が出来るものでは決してありません。
しかし、私達の選択肢の選び方は、私達をより深い幸福へと導いてくれるものでもあります。無意識的反動によるものではなく、しっかりと熟考した上で選んだ選択肢であれば、例え私達が“間違った”選択肢を選び途方に暮れても、私達はより簡単に自身を許せるでしょう。
間違った方向を選んでしまっても、私達は自身を許し、準備が出来たらすぐにより良い判断が出来る様に方向転換が出来ることを知っておきましょう。
実際に真実を見つける為に長く留まる方法は数多くあります。立ち止まって、集中して、深呼吸してみましょう。選ぶ準備が出来たのなら選択しましょう。準備がまだなら、選んではいけません。
目的に関して私達は穏やかに熟考し、時には正しいと思うものを見つけるまで長い間かかることもあります。一方で素早い判断が必要な時には光のような速度で考えます。しかし、それは原始的な戦闘反応などではなく、きちんと考え抜かれた人間的反応です。こうして立ち止まって、私達は意識を研ぎ澄まし、現実を認知し、自身の内にある知識としっかりと繋がることによって、選択し、それに向かって行動する準備が出来ました。
The Act of Will(意志による行動)という健全な選択肢を選ぶ方法に関して書かれた本の筆者であるロベルト•アサギオリ博士は以下の様に述べています。
「自身に静かに耳を傾け、正しい言葉をゆっくりと聞き取ることで、私は信頼出来る指標に従うようになります。この道を辿るべきだろうか?今するべきか、それともまた別の機会を待つべきか?といった具合にね。」
どの道を選ぶべきかをあなたがきちんと分かると信じることが大切であり、その後の旅路に備えて立ち止まって考えることは時間を掛けるに値する行為であることを忘れないで下さい。
人々は脆弱な部分をより否定的な視点で見ているのかもしれません。
以前に暗い気持ちを表現したり、間違いを犯したり、自傷行為をしたりすると、不快な嫌悪感を覚えることがあります。
多くの人々は、自分の潜在的な感情を考えるたびに自分が弱いように感じています。あなたの怒りは気持ちを沈めてくれるわけではありません。
助けを求めるあなたの要求は、あなたを弱く見せたり、自立していないことを人に表してしまうのです。本物の、または想像されたバックラッシュのこのリスクは、その状況を恐れたり、それらを完全に回避しようとする可能性があるのです。
しかし、脆弱性の側面もあります。
あなたのロマンチックな関心はあなたの気持ちを補うことができます。
あなたの友人は、本当の親切な行為であなたの嘆願に答えることができました。
ヒューストン大学ソーシャルワーク研究者のブレンブラウン(BrenéBrown)は、本とTEDトークで脆弱性に触れていますが、内的自己や家族や友人との間で満足と有意な関係を築くことが重要であると仮定しています。
この2つの一見矛盾した脆弱性の見方はどのように対峙しているのでしょうか?
ドイツのマンハイム大学の研究者は、最近、パーソナリティと社会心理学のジャーナルに掲載された7つの研究で、この問題を探究することに決めました。
彼らは、私たちの視点が重要であることを発見しました。
研究対象者が脆弱性を示した他の人々を評価するように頼まれたとき、彼らはその行動をより積極的に見る傾向があり、彼らは自分自身に脆弱性があると想像するように求められたとき、その行為をより否定的に見ました。
研究者は、これらの自己相違点を、脆弱性(「厄介な状況を「混乱」と認識している可能性があります)と観察者の両方の視点をカプセル化する「美しい混乱効果」と名づけました。
ほとんどの研究では、仕事での大きな(しかし、追跡できない)エラーに悩まされたり、大規模な戦いの後に相手に謝ったりするような仮説的な状況を調べました。
すると、「実際の」シナリオと仮想シナリオの両方で同じ自己相違が現れました。
効果は、脆弱性が評価される前に悲しいムービークリップで参加者の感情状態が操作されました。
研究者は、この効果を理論に照らして解釈しました。これは、物理的、感情的、または社会的に離れているほど、より抽象的に認識することになります。
「私たちは、他の人の経験をより抽象的に、より具体的に見る」と、論文の筆頭著者であるアンナ・ブルック(Anna Bruk)は言います。
以前の研究では、何かがより抽象的であると見なされると、人々はそのポジティブな側面に集中する可能性が高くなりました。
「人々が他の人の脆弱性を評価するとき、距離は彼らに異なる視点を与えるかもしれない」と彼女は付け加えました。
対照的に、私たち自身の脆弱性については、リスクは近づき、間違っている可能性のあるすべてのことについて、はるかに良い見解を示しています。
ブラウン氏の研究は、この研究の「触媒」として機能していたといいます。彼女の著書「大胆に、ブラウンは、人々が脆弱であると感じる傾向がれば、彼らが典型的にどのように反応をするのか、どのようなことに影響(肯定的および否定的であるか)されるか、脆弱性の定義と理解を考察します。
大胆な終わりに、彼女の理論を定量的にテストする必要があります。
「これがこの論文の出発点でした」とBruk氏は言います。
「私たちは、脆弱性を示すことが、実際には自分自身以外のものではより積極的に見えるかどうかをテストしてみたかったのです。しかし、社会心理学者たちは、これらの知覚の違いがなぜ生じるかを知りたがっていました」
この脆弱性のコストに焦点を当てると、そのメリットが曖昧になる可能性があります。
ストーニーブルック大学のアーサー・アロン教授は、個人的な関係において親密さがどのように発達しているかについて広範な研究を行っており、脆弱性に関しては、「私たちも調査している」と言っています。
現在の研究に関与していないアロンは、2人の外国人がより密接な結びつきを形成するのに役立つ36の質問において最もよく知られています。
彼の研究によれば、「近くにいる人に物を公開することは本当の利点になる」と一貫して判明しているといいます。
マンハイムチームの将来の研究であるBruk氏は、脆弱性の認識におけるこれらの自己相違の程度がどの程度まで拡大しているかに重点を置く必要があると述べています。
「これは投機的ですが、脆弱性が繰り返されるケースは、他者と自分自身の両方によって否定的に解釈される可能性があります。
「逆に、練習をすると、助けを求めるのに慣れ、自己の脆弱性をより積極的に見て、自己相違点が全体的に減少したり消失したりする可能性もあるのです。」
時間を追って行けば、または「反証的な」思考では、結果が混在する可能性があります。
時に振り返る作業をすれば、物事がどう改善されたかを我々は考えます。
この思考を、私たちは “上向き”の反作用的な思考と呼びますが、同時にその時、あなたは、落ち込んでいる可能性があります。
私たちが振り返るときには、私たちの状況が悪化している可能性があると考えているのです。
逆に、
私たちはこれを「下向き」の逆説的思考と呼びます。実際にはかなり盛り上がるかもしれません。
下向きの思考の利点として様々な研究により、下向きの逆説的思考は、上向きの逆説的思考と比較して、心理的健康とより関連している傾向があることが分かっています。
下向きの事実上の思考が否定的な感情につながる場合、人々は生産的な行動をとるよう動機づけられます。そして、逆説的な思考が正の感情につながるとき、人々はある程度の人生の満足を感じるのです。
反事実的思考を探求した最近の研究で、ローレン・ステューダー(2016)は、心理学における私たちの大学院プログラムの卒業生は、親密な関係にある下向きの反事実的思考が相対的に正の関係があることがわかりました、たとえば関係の満足度になります(a result that parallels a past finding from my own research team’s work; see Geher et al., 2005)。
興味深いことに、女性が男性よりも特有の下向きの事実に基づく考え方になる可能性が高いことを発見しました。
言い換えれば、過去の関係を最善のものにできるのは女性が男性より多かったのです。ですので男性はこのような考え方に慣れていないようです。
上向きの反事実思考の利益とコスト
上向きの事実に基づく考え方には、いくつかの利点があります。あなたが試験のために勉強しなかった場合、次回に試験が予定されているときに、この事実をよく考えるかもしれません。そして、次回に効果的に勉強するための動機となりえます。
これは、上向きの事実上の思考はしばしば悲観的なスタイルに関連していると言いました。そして、比較的低いレベルの満足になることが分かっています。
だから、あなたが何か混乱させたことを考え直すことは、本当に人生の幸福と満足のための素晴らしい方程式とはなりません。
ひとつの方向
反芻はうつ病の特徴である。
反芻は、心理的な生活の中で、逆の事実上の思考をすることができます。このような思考が、「私は本当に台無しになった」心理によって特徴づけられ、自分の毎日の心理に浸透するようになると、否定が続きます。
あなたがこのような上向きの事実を考えていて、このトラップを自分で見つけたら、本当にそのトラップから抜け出し、前進するための措置を講じるべきです。
一日の終わりに、あなたが何年も前にやったことは、過去は過去であり、時間は一方向にしか動きません。そのうち、私たちは確信できるようになるのです。
ボトムライン
ある程度、あなたの人生は、あなたが作った選択肢の合計である、と考えることができるようになります。もちろん、いくつかの選択肢が他の選択肢よりも優れていることはあります。
過去の決定を振り返ること(つまり、反論的思考に従事する)は、人間にとっては自然なことです。
そして、上記のように、すべてが悪いわけではありません。
あなたが過去にいろいろなことをして生活していて、もっとうまくやったかもしれないひとつの事柄に集中しているのなら、未来はもっと難しいことになっているかもしれません。
結局のところ、これは一方通行なのです。そして、この旅路は、比較的、簡潔なものなのです。
まず、人生の中盤、新しい幸せの基準は、基準自体が存在していないとする理由を示しています。
あなたは間違いなく、中年における危機的な状況と、大人の幸福観に関する大規模な研究について聞いたことがあるでしょう。
中年以降の人格を研究する心理学者は、生涯の中盤期において、幸福観が低下し、不幸観がピークになる、いわゆるU字型曲線について、エコノミストとは異なる結論を導いています。
この議論の多くは、水と油のようであり、エコノミストは単一項目の幸福評価を見ており、心理学者はより深い適応と性格を見て、人が40歳(研究に応じて45歳、または50歳)に達すると、突然、健康が崩れるかどうかに注視しています。
更なる批判は、(「幸福曲線」を唱えた)ジョナサン・ラウシュが認めたように、危機の存在が彼に「彼の憂鬱を見つけるのを助けた」のだと述べています。
あなたの不幸は、単なる「事」であって、あなたの人生にとって唯一のものではないということを証明できたことは、良いことです。
他の場所で議論されているものに惑わされずに、大人の新しい幸福観について見てみましょう。
ウェルカムセンターカルチャーアンドエンヴァイロメンツアンドヘルス(エクセター大学)が主催する「ミッドライフカンバセーション」と題した会議で、中年の危機に関する社会的通念について話すように求められました。
私はここ数年、重要な文献を掘り下げることにしていました。そしてU字型の幸福曲線を描いています。
ヘルシンキ大学のSeppo Laaksonen(2016年)は、関連性の高い基礎をカバーするU字型曲線概念の批判的な意見を提示しました。
Laaksonen氏は、他の研究者は曲線を再現できないと指摘し、分析に特定のコントロールが組み込まれている場合、コントロールが適切である場合、そしてそうでない場合に分けました。
フィンランドの研究者は、これらの質問をテストに当てはめるために、米国と英国で実施された大規模調査、年齢と幸福観の関係に影響をおよぼすような操作についての統計テストを行いました。
年齢と幸福観の関係には、操作が存在してはならないと主張する正当な理由があります。この関係を操作することで、高齢化に伴う条件が、高齢者の生活経験に与える影響を抑制してしまうのです。
健康や夫婦間の状態を幸福観に影響を及ぼす要因として取り除いたとしても、65歳以上であったり、健康状態が悪い、または配偶者やパートナーがいないということが、幸福観を判断する材料となりえる事実は変わりません。
同様に、収入を操作するということは、払うお金がない高齢者は、不幸せではないにせよ、お金を持つ人よりは不幸せであるということが強調されていることになります。
Laaksonen氏は、10歳から曲線は下降し、50代まで安定してぶら下がっている曲線があるかもしれないと結論づけていますが、それは、(1)幸福を減らす要因を制御し、(2) 「落下」は40歳未満から50歳をはるかに超えて変化する可能性がある、という二つの見地から成り立っています。中年の危機が特定の年齢や年齢層に結びついていると思われる場合は、我々が求めるものではないでしょう。
なんらかの理由で、Laaksonen氏や幸福曲線を描いた多くの人々からの証拠があるにもかかわらず、この考えは依然として持続しており、実際には、ほぼ世間に受け止められています。
幸福曲線をGoogleですばやく検索すると、途方もない中年危機に瀕した漫画や、そのような悲惨な中高年を対象とした商品の広告が出てきます。
中年の危機のチェックリストには、「あなたはバンジージャンプをやろうと思っていますか?」、「真剣にタトゥーを考えていますか?」というイメージがあるのです。更なるイメージは「落ち着きましょう、中年だけのものです」というテーマです。
中年のキッチン用の料理本と「中年のビールの危機」を生き残るためのブログなどもあります。リストは続々と続き、すべてを取り込むことは不可能ですが、あなた自身で試してみることはできます。
文献に戻ると、Laaksonen氏よりも古い研究では、U字型曲線の問題が強く取り上げられています。実際、ワーウィック大学(英国)のU字型曲線の著者の1人が私に送ったものです。
そこでは未発表の原稿のデータが提供されています。
「現代人は中年期に精神的な苦しみを感じていますか?」これは、大規模な調査分析の中での「全体的に、あなたの人生に今どのくらい満足していますか」という質問に0点から10点で回答したものが基盤になっているものです。
曲線は落下を本当に意味していますが、ここでは見当たりません。
スケールは、範囲全体の切り捨てられたセクションを表します。
「落下」には7.2から7.8の差が含まれます。
著者が主張しているように、大きなサンプルサイズは、この発見が統計的有意性を確実に達成するため、統計分析はこの論文では提供されていません。
しかしながら、私がそれを受け取った形式からグラフを描画すると、曲線はかろうじて識別できるほどのぐらつきのある線に変わります。
クロスナショナル・データの他の書評は、U字型現象の普遍性にさらなる疑問を投げかけています。
ロンドン大学のAndrew Steptoe氏の2015年のランセット記事では、世界のいくつかの大きく異なる地域で、年齢別の幸福観を調べています。
このようなU字は、高所得の英語圏の国々でしか観察されませんでした。
これは中年の危機について研究するものの間で長い間言われてきた、裕福な人だけが中年の不安に耽るという考えを支持するものです。
しかし、所得格差が強調され、低賃金労働者が自らと非常に裕福な人を否定的に比較するように導いているため、高収入国では中高年期の危機が長く続く可能性もあるのです。
また、以前の縦断的研究(Harvey et al 2018)によれば、仕事のマネージメントが低く、仕事の緊張感が高い人が、中年期に悪影響を受ける可能性が最も高い人々です。
考慮すべき最後のポイントは、誰が人生の後半において調査の質問に答えることができるかということに関係しています。明らかに、長生きしないような人、質問に答えられない人生を送っている人もいるのです。
研究者がテストを行えるのは生きている人だけです。彼らの一生は、幸せであったかもしれませんし、うつでもなかったかもしれません。
データ分析が生きている人のみに基づく場合、現れた結果は完全に異なる可能性もあります。落下の代わりに、あなたは直線であったり、上向きなものさえ見ることになるかもしれません。
この問題がライフスパンよりも、別のことから来ていると考える研究者の世界においては、ほとんど考慮されていないのです。
要約すると、中年の危機の研究者、あるいはU字型の曲線でさえ、彼らの道をつくることは非常に少ないチャンスであり、私たちが戦ってきたこれらのコンセプトは途中で崩壊してしまうかもしれません。
事実として、この社会的通念を受け入れる必要がある場合には、複数の役割のために複数の要求を抱えている人々に害を及ぼす可能性があります。
また、すべてのストレスフルな人を助けるためにも進むことが賢明かもしれないからです。その自己実現的預言という見方をメディアから遠ざけることも意味をなすかもしれません。
一度、U字型の曲線が一般化されてしまうと、人々は社会に沿うように、Uの低い点にいることを認めてしまいます。大規模な研究の場合においての100万人の中の一人のNというのは、印象的ですが、それはあなたの人生の何十年にもわたり達成する必要がある一つのNなのです。
自我消耗は自制能力に対する不十分な(そして悲観的な)見方をさせる
あなたが新しいダイエットを始めてから1週間が経ちました。これまでの食事は全て雛鳥の胸肉とふやけた野菜でした。さあ、金曜の夜になりました。あなたの仲間が、ビールとナチョスを食べに出かけよう!とあなたを誘惑しています。あなたは精神的な疲れから誘惑に耐えきれず、アルコールを飲み、思う存分食べました。ダイエットの決意に反したという罪悪感を和らげるため、次の日あなたはダイエットにおいて時折チートデイを設定することがなぜ大切なのか、ということを解説しているブログの投稿に「出会い」ます。
これは誰もが聞き覚えのあるお話でしょう。精神的に消耗して疲れ果てている時に、辛いコントロールを絶え間なくし続けることがどれだけ難しいかということはご存知だと思います。科学的にもそう言われています。セルフコントロールが必要な仕事をすることは、実際にその後の仕事のパフォーマンスを悪くするのです。月曜から木曜までのダイエット中のセルフコントロールは、自制力タンクを空にし、金曜日の(ナチョスの)誘惑をかわすことを非常に困難にしました。
研究者たちはこの現象を「自我消耗」と呼んでいます。そしてそれは自制力とセルフコントロールの心理学的基盤について研究している人たちにとってホットな話題なのです。
自我消耗とセルフコントロール理論
自我消耗という概念は、心理学者たちが「セルフコントロールの強度モデル」と呼ぶものに由来しています。そのモデルにおいては、セルフコントロールに供給されるエネルギー量はあらかじめ決まっていて、有限であり、そのエネルギー量によってセルフコントロールの質が変わるとされています。強度モデルの支持者たちは、セルフコントロールを有限資源として見ており、困難な目標を追求する時に少しずつ削っていっても大丈夫なように貯蔵しておかなければならないと考えています。強度モデルを使えば、なぜ我々はビールとナチョスによるチートデイやネットフリックスの一気見をしてしまうのかということを説明できると考えられています。
しかし、現在我々は、個人的な努力体験の方がセルフコントロールの効いた行動に大きく関わってくるということを発見しつつあります。つまり、私たちが何かを努力が必要なことだと「見る」ときにはセルフコントロールがうまくいかなくなってしまうのです。もしそれが本当ならば、強力な対処法があります。それは、ものの見方を変えるだけで、もっとうまく自分をコントロールできるようになるということです。
セルフコントロールの素人理論
私たちはしばしば自分の身の回りの世界を理解するために、何かしらの理論を思いつくことがあります。科学者たちはそれを「素人理論」と呼びます。それが私たちの個人の見解に基づく不確実な証拠や、個人的な経験や観察に基づいていて造られるものだからです。
当然、私たちはセルフコントロールについても素人理論を持っています。調査によると、セルフコントロールの本質と可鍛性については個人個人が異なった見方を持っているようです。研究結果は、困難な課題に対する私たちの反応の根底には、個人的な経験が存在していることも示唆しています。セルフコントロールは有限資源だという素人理論を持っている人は、誘惑に負けやすくなるのです。
加えて、カナダのウォータールー大学の心理学者のグループは、パーソナルナラティブがセルフコントロールの効いた行動をとる能力に対してどのように働くのか、ということについて調査しました。3つの関連した研究の中で、彼らは努力についての個人的認識がどのようにセルフコントロールについての素人理論に影響を及ぼし、さらにその素人理論が実生活の中でどのように私たちの能力を形作っていくのかということについて調査しようとしました。
研究とその結果
最初の研究は、セルフコントロールについての過去の経験が、どのように私たちのセルフコントロールに対する考え方を形作ってきたのか、ということについて調査しました。研究者たちは参加者の一方のグループに、セルフコントロールが簡単にできた時のことを思い出すように求めました。もう一方のグループには、かなり苦労して何かを継続した時のことを報告するよう求めました。その後参加者全員がセルフコントロールについての素人理論をテストするための質問(例:セルフコントロールは有限資源だと思うか など)に答えました。
2つ目の研究は、参加者に努力が必要な課題かそれほど大変ではない課題かのどちらかをこなしてもらった後で素人理論を評価することにより、先の研究からさらに一歩踏み込んだ調査となりました。努力が必要な課題というのは、ある文章を読み、その文中の全ての「e」とスペースを削除し、「a」を「A」に変えるというものでした。それほど大変でない課題というのは、ある文章を一語一語書き直していくだけのものでした。それぞれの課題をこなした後には、セルフコントロールの素人理論について研究1で聞いたのと同じ質問に答えてもらいました。
最後に、3つ目の研究では日常的な努力の経験が、その人の持つセルフコントロールについての素人理論にどのような影響を与えるかということを調査しました。それぞれの参加者は2週間連続で毎日骨の折れる課題をこなすよう求められました。その後研究者たちは、参加者たちの努力に対する認識とセルフコントロールの素人理論について、前と同じように測定しました。
セルフコントロール心理学の「新しい学校」
これらの研究結果が私たちに教えていることは、自我消耗のコンセプトが理論値まで達していないということです。研究結果によると、私たちの自我は私たちが消耗されると思った場合にのみ消耗されるようです。これにより、セルフコントロールにをより柔軟で楽観的なものだと見ることができるようになります。
それどころか、最新の研究結果は、セルフコントロール能力が成長していくものだということを裏付けています。セルフコントロール力を高めるためには、ある課題を大変ではないと「見る」ために自分の精神状態を変えることから始めましょう。確かに、研究では、課題を面白くて有益なものだと捉えることで、私たちが感じる大変さを軽減できるということが示されました。この研究者チームは、この結果がセルフコントロールが有限資源であるという見方を弱め、将来何かに挑戦する際に役に立つ可能性があるとしています。
このような新しい見方をすることで、セルフコントロール能力についてはマインドセットを変えることで改善する余地があるということがわかります。そしてセルフコントロールは完全に前もって決められたものである(そして有限である)という絶望的な考え方を緩和することができるようになります。
来るべき夏に向けてこれらの研究結果を心に留め、あなたが目標としている誰もが憧れるビーチ向きの体は、考え方を変えることで達成可能だということを覚えていてください。そして、自我は消耗されるものだという考えを超越してください。あなたのセルフコントロール燃料タンクは空にはならないはずです。
実用的なガイドラインは、メディアと私たちのリスク軽減に役立ちます。
火曜日のお昼前、報道機関はファッションデザイナーのケイト・スペードが、自宅で明らかに自殺と思われる状態で亡くなっているところを発見されたと伝えました。夕方前には、スペードの名前はツイッターのトレンドワードの1位になりました。
自殺予防の専門家は次のように警告しています。著名人の自殺は、誤った扱い方をすると、大げさな報道によって美化されたり、後追い自殺を引き起こしたり、鬱病などの精神疾患に関する悪評を広げたりする危険性を生むことになります。著名人の自殺の後には、報道機関や各個人はそのことについてより責任感を持って共感的に話すようにすべきです。
どうすればメディアは自殺についてより望ましい報道ができるようになるか?
一般の人たちにとって、著名人の自殺についての第一の情報源はメディアです。そのため、専門家達は、メディアはその出来事をどのように提示され、理解されるかということについて重要な役目を果たしていると言います。アメリカ自殺予防財団(AFSP)などにより作られたガイドライン「自殺報道のための推奨事項」の中で挙げられているようなものは、後追い自殺や自死が美化されるリスクを最小限に止めることを意図しています。AFSPによると、報道機関は次のことに留意すべきです。
自殺に使われた道具や自殺の方法の詳細を不必要に伝えない
自殺予防リソースセンターとともに自殺予防プログラムを開発するためのガイドライン作りに取り組んでいるシモンズ社会福祉事業学校の准教授エラナ・プレマック・サンドラーは、「事実だけで十分だ」と言っています。彼女は、「詳細を知ることは有益ではない。詳細に伝えることは死を扇動的に扱ったり、美化したりし得る」と言っています。これは自殺願望を持っている読者に対して、自殺をより魅力的に見せてしまう可能性があります。個人がメモを残している場合には、その情報を含めて報道しても構いませんが、そのメモの具体的な内容を伝えることを慎むべきだ、とサンドラーは言っています。
自殺を犯罪のように言わない
「自殺を犯す」と言うフレーズは一般的に使われているものですが、AFSPや国立自殺予防ライフラインなどの団体は「犯す」という言葉が犯罪行為を思い起こさせるとして、使用を控えるように言っています。その言葉の代わりに「自殺により死亡した」「自死した」という言葉のしようが推奨されています。
自殺が頻繁に起きているように誇張する言葉遣いを避ける
専門家によると、特に著名人の自殺について広く報じられた後に「自殺の頻発」や自殺率の「急上昇」といった言葉を使うと、精神的に弱っている人たちに、自殺は広く認められている選択肢だと思わせてしまいます。自殺率が本当に上がった時には(社会全体としてのものであっても、特定のグループ内でのものであっても)報道機関はそのデータを誇張することなく伝えるべきです。
故人の死そのものだけでなく、その人の人生に注目する
サンドラーは、スペードは「素晴らしい人生を送り、非常に独創的であり、特に個人に喜びを与えた」と言います。「自殺によって亡くなった人の死そのものだけでなく、その人生についての物語を伝えることが大切です。こうして微妙に違った描き方をすることが、はるかに正確な描写につながるでしょう」自殺に関する話の中で写真を使う際には、故人をより肯定的に見せるようにすべきです。気が動転している友人や家族、死に方などを写した写真は避けるべきです。
常に自殺予防ホットラインの番号やその他の自殺予防団体のリンクを掲載する
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/jisatsu/index.html
サンドラーによると、自殺予防ライフラインの番号は自殺に関わる全ての記事に掲載すべきだそうです。著名人の自殺直後には、メディアは多方面に対して影響力を持っています。「自殺のリスクを抱えている人たちに、助けを求めることを勧めるためにその影響力が使われれば、メディアは変化を起こすことができます。」
個人や社会は自殺についてどのように話すことができるか?
メディアの外にいる人たちも、自殺について話す際に対策を講じることで、起こり得るリスクを減らすことができます。
自殺について話す時は可能な限り注意をする
サンドラーは、「自殺は軽々しく話すべきことではない」と言っています。とりわけその出来事が大々的に報じられたり、意外な出来事であるかのように見える時には、その有名人の死について話したくなるのは当然です。ですが、「自殺は個人的な問題であり、個人や家族、社会にとってトラウマになるようなものであるという意識を持ち、いつも慎重に話すことが大切です。」
鬱病と自殺について話を続ける
専門家によると、自殺を考えたことがある人の多くは、冷たい目で見られることを恐れて自分の経験について話したがらないかもしれません。そして、著名人の自殺があった後の嵐のような会話は、その人の恥じる気持ちを助長してしまいます。『鬱と生きる』の著者で心理学者のデボラ・セラーニは、著名人の自殺の後の「『良い教えを得られる機会』は(きっと)助けになる」と言っています。「しかし、本当の変化は、ニュースが次の話題に移っても自殺や鬱病について継続的に開かれた対話ができるようになった時に起こります。」
自殺についての考えることや鬱病は人を差別しない。そしていつも目に見えるようなものではないということを認識する
「鬱病はその人が裕福だろうが有名だろうが、あるいは貧しかろうがホームレスだろうが関係ありません」とセラーニは言います。「凡人だろうが、素晴らしい才能に溢れた人であろうが関係ありません。」有名人や裕福な人が自殺すると、その人には足りないものなどなかっただろうにと考えるのは普通のことですが、「成功が苦しみから誰かを守ることはない」ということを覚えておきましょう。
自殺願望がある人に助けを求めるよう促す
国立自殺予防ライフラインやクライシステキストライン(74174にHOMEとメールすることでつながる)は、悩んでいる人たちが24時間年中無休で使うことのできるものです。ほとんどの鬱病患者は治療に対して良い反応を示します。「鬱病は朝が来たからといって消えるものではなく、また、考え方を改めることで振り払えるようなものではありません」とセラーニは言います。しかし、「治療をすれば、脳は再び通常の機能を取り戻します。そして助けを求めることを恥ずかしいことではありません。」